宇宙産業と核融合ビジネスが導く日本の未来

宇宙ビジネスは、通信、測位、地球観測などの基盤インフラとしての価値にとどまらず、安全保障、災害対策、農業、気候変動対応など、あらゆる分野に波及効果をもたらします。日本には高精度な衛星技術、製造力、信頼ある企業文化という強みがあり、適切な法整備と支援体制が整えば、世界市場での競争力は飛躍的に高まるでしょう。宇宙条約の枠内での国内法整備、官民連携のあり方、衛星データの利活用ルールなど、制度面の整備は待ったなしの課題です。

同様に、核融合エネルギーは“次世代のエネルギー革命”の中核をなす存在です。温室効果ガスを排出せず、資源依存の少ない核融合は、地政学的リスクを大幅に低減し、エネルギー安全保障と脱炭素の両立を可能にします。近年では、民間主導の小型核融合炉開発が急進展しており、アメリカやイギリスではスタートアップと政府が一体となった国家戦略が始動しています。日本にも世界的に注目される技術開発企業が存在しながら、そのポテンシャルを引き出す法制度・財政支援は整備途上です。

こうした「技術が先行し、制度が追いついていない」状況を打破するためには、分野横断的な視点と国際動向を踏まえた制度設計が不可欠です。宇宙と核融合という最前線に立つ技術と、法・政策との橋渡しを専門とし、研究者・企業・政府と連携しながら、持続可能かつ現実的な仕組みを構築していきます。

この国に必要なのは、世界に通用する「知」と「構想力」、そしてそれを形にする「制度」です。科学技術は国家の礎であり、外交の交渉力であり、未来への投資でもあります。宇宙と核融合は、単なる産業の話ではありません。それは日本が再び、世界に対して確かな“カード”を切るための道なのです。

その道を、制度と知性の力で切り拓いていく覚悟です。

栗田芙實子(KURITA Fumiko)
代表理事

――世界で日本が発言力、もっといえば『カード』を持つために――

宇宙産業と核融合ビジネスは、日本の再生に向けた最後の切り札かもしれません

経済の成熟化、人口減少、安全保障の変化といった複合的な課題の中で、日本が国際社会において確かな存在感を保ち、未来世代に希望ある選択肢を残すには、科学技術を国家戦略として位置づけ直す必要があります。その中でも、宇宙とエネルギーという2つのフロンティアは、まさに日本が「攻めの戦略」を取れる数少ない領域です。

核融合エネルギーは京大理学部にいた幼馴染の先輩の影響で大学時代から身近な分野であり、宇宙ビジネスはパリで地政学を専攻したころから人生賭けて取り組みたい事業でした。

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原点は中学2年。ユニセフの特集番組で目にした飢えと戦火に苦しむアフリカの子どもたちの姿に心を突き動かされ「この世界を変えていく」と強く願った。その日以来、アフリカの子供たちをはじめとする声なき存在のために生きると決めて英語を猛勉強。高校ではさらにラジオ講座を利用してセンター試験程度までフランス語も自習し「貧困や紛争の根底にある経済構造を理解し、国際的に対等に議論し信頼と駆け引きの中で最適な着地点を見いだす力を持つ人物にならなければならない」との想いから、京都大学経済学部へ進学した。
京大を卒業し、日本人女性として初めてフランスの名門・エコール・ポリテクニークに国際プログラムで在籍し、金融工学と経済学を学ぶ。同時に、選抜試験を経てフランス最高峰の高等師範学校(ENS)に3年間在籍(無給)し、トマ・ピケティ教授の講義(公教育における不平等の経済学)も履修。世界中の知性と交わりながら、国籍や専門を超えた本質的な対話の中で、「人道支援」から「国家戦略」へと視野を広げる道を歩んだ。

パリ留学1年目にはポリテクのプログラムにより、1学期間フランス財務省の経済分析研究機関で失業問題とフランスの法定最低賃金SMICを研究した。4年目には陸軍軍事学校で核兵器拡散問題の共同研究をし、軍事省戦略局で集団的自衛権など国際安全保障をテーマに長期調査研究に従事(無給)。続いて米国大学院進学を模索し訪れたハーバードでは、ジョセフ・ナイ教授と1対1で30分間、日本の人口減少と国家の戦略的意思決定について対話する機会を得た。2014~2016年を境に日本の人口が減少に転じるという当時手にした統計を前に、いかに持続可能な国力を維持するかを語り合い、未来を担う世代としての責任を痛感した。その交流の中で培った矜持は、迷いや逆境の中でも、自らの進む道を静かに照らし続けている。

日本という国家の存在感が揺らぐ中、15年以上の欧州滞在によって米国やフランス等欧州の公教育、主権者教育、少子化対策に接した自らの経験から、普通の感覚をもった一国民として、誰もが声を上げ、夢を語り、未来を選び取れる社会を、公教育の充実をはかることによってこの国にも根づかせたいと願っている。少女たちが夢を諦めずにすむ社会の実現に向けて、一歩ずつ踏み出していきたい。そして宇宙ビジネスの法整備と核融合エネルギーという人類の未来に直結する分野において、これまで培った知見と経験を総動員し、制度設計と政策立案を通じて確かな社会的成果へと結実させていく道を歩むことに自分の生きる意味があると信じている。

Yarica von der Osten-Sacken
Yarica von der Osten-Sacken wurde 1984 in Lübeck geboren.
Sie ist freischaffende Tänzerin, Choreographin, Künstlerin und Tanzpädagogin. Als staatlich geprüfte Dipl. Bühnentänzerin wurde sie an der “Ballettschule des Hamburg Ballett, John Neumeier” ausgebildet. Zwischen 2003-2010 war sie festes Mitglied am Theater Lüneburg bei Hamburg.
2006 wurde Yarica von der Osten-Sacken als Solistin ernannt und wirkte bei vielen klassischen wie zeitgenössischen Ballettproduktionen, Musicals, Opern und Operetten mit.
Mit der ´leven company´ zeigt sie ihre eigenen Choreographien, Poesie und Malerei.
Auftritte und Ausstellungen zeigt sie in Hamburg, Lübeck, Lüneburg und Lettland.